オウム真理教幹部は、すでに確定も含めて13名の死刑判決がくだされているが、中でも印象的だったのがこの判決だ。

東京高裁(山田利夫裁判長)は2004年5月28日、地下鉄サリン事件など10の事件で殺人などの罪に問われた元オウム真理教幹部の井上嘉浩被告に対する控訴審で、無期懲役とした一審・東京地裁判決を破棄し、死刑を言い渡した。

教団による一連の事件で一審の無期懲役が覆ったのは初めて。

井上被告は教団「諜報省」の元トップで、元代表・松本智津夫被告の側近と言われたが、逮捕後は積極的に取り調べに応じ、松本被告の公判でも地下鉄事件直前の謀議の様子などを詳細に語って検察側立証の柱になった。

しかし、被告が起訴された10事件は、「諸事情を最大限考慮しても死刑を選択するほかない」(山田裁判長)と結論付けられた。

井上被告については、ジャーナリストの江川紹子氏が、講演で次のように触れている。これはなかなか興味深い。

「例えばオウム真理教の中で,幹部としていろいろな犯罪に関わりながら,今ではオウムで何が行なわれていたかを法廷で明らかにし,むしろアンチオウムの立場になっている井上嘉浩という青年がいます。彼はもう絶対オウムに戻ることはないと思います。でも何か聞いているとずれてくるのです。どこがずれてくるのだろうということでずっと裁判を見ていましたが,私にはよく判りませんでした。それについて,カルト問題に関わってらっしゃる心理学の専門家の方が何度も面会を重ねて心理鑑定を行い,法廷で話されたことは,『結局マインドコントロールが100%開放された状況ではない』ということでした。

つまり麻原教からは脱したけれども,今度は別のものが彼を支えているということです。例えば彼の中では,チベット仏教がオウムの柱になっているのですが,彼には弁護士や家族,その他裁判所が特別に認めた人以外とは面会はできないため,正しくその仏教を教えてくれるという人もいません。そのため,本を読みながら自己流にチベット仏教なるものに接近しているようなのです。

ですから,その先生の話によると,麻原教から井上教になったか,あるいは井上流のチベット仏教になっただけで,思考の方法や何かに依存している精神状態は根本的に変わったとはいえないのではないかということです。また,想像力がまだ弱いですから,オウムに感情をマインドコントロールされていたがゆえに起きていた諸々の問題点がまだ全部解消された訳ではないともいわれています。それを聞いてなるほどと私も思いました。このことから,マインドコントロールというのは行くか出るかではなく,段階的に?白と黒の間にはいろいろな濃さの灰色がありますが?そういった状態であると考えた方が良いのではないかと思う訳です」
(講演タイトル、日本におけるカルト教団の実体と問題点)

そもそも死刑という制度自体には賛否両論あるし、オウム関係の被告に対してそれを簡単に申し渡すことで事が解決するのか、という意見もある。ここではその点は措こう。

それとは別の視点として、「オウムに感情をマインドコントロールされていたがゆえに起きていた諸々の問題点がまだ全部解消された訳ではない」という、江川講演での井上被告に対する見方に立てば、今回、いくら井上被告が「反オウム」になったからといって、「反カルト」になったとはいえない以上、他のオウム重大事件関連の被告らと比べ「よりまし」であることにはならないから、その者達と“同じ判決”にするというふうに考えれば、今回の判決は辻褄があうのかもしれない。

★参考文献
『平成の芸能裁判大全』(鹿砦社)
http://www.webginza.com/magazine/cm/taizen.html