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広末涼子が今度は追突事故を起こした。
広末涼子 追突事故
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19日午前、環状7号線内回り羽根木交差点付近で、広末涼子の運転する車が、右折レーンへの進路変更の際、前を走っていた乗用車に追突した。広末と相手の車の運転手、どちらともけがはなかった。

北沢署は広末の前方不注意と見る。広末は、長男の通う幼稚園へ向かう途中だったという。

広末は所属事務所を通じて、「皆さまにご心配をお掛けして大変申し訳ありませんでした。子どもの通園時のことでしたが、幸いけがはなく、今回のことを肝に銘じ、運転には細心の注意を払いたいと思います」と謝罪した。

「東京スポーツ」(3月21日付)では、広末の運転に対する適性や情緒を問題にする。
広末を知る関係者は「こう言っちゃなんだけど、彼女の運転は荒い部分がある。信号につかまることを嫌うタイプですね」と語る。
 しかも、最近の広末はというと、大河ドラマでの好演が光るものの、あるCM撮影現場では、周囲が引くような奇妙な行動が目撃されている。今月行われた撮影に立ち会ったスタッフによれば「広末さんは、かなりテンションが高かった。ずっと座ってられなくて、歌を歌い出したり、手をヒラヒラ振ったり、周囲に『涼子はね~』と話しかけてゴキゲンだった」という。事故の報道を知り、このスタッフは「あのハイテンションがまだ続いていれば、事故を起こしても不思議じゃないかも」と漏らしていたほどだ。
さらに、広末が5歳の長男にチャイルドシートを装着したかにも言及している。
長男の通う幼稚園のママ友が本紙に重大証言をした。
「広末さん、チャイルドシートを忘れていることが多くて、私たちの間では『危ないよね~』と、よくウワサしていました」
 幼児(6歳未満)を同乗させる場合、道路交通法でチャイルドシートの装着が義務付けられており、違反した場合は1点減点となる。広末の所属事務所は本紙の取材に「担当者がいないので、分からない」とコメント。記者の連絡先を伝えたが、折り返しの電話はなかった。
「チャイルドシートの件は、マスコミ各社から問い合わせが殺到しているようですが、事務所は『担当者がいない』の一点張り。ちゃんと折り返してくる事務所だけに、珍しいですよ」とはワイドショー関係者だ。
北沢署も「もしチャイルドシートをしていなければ、法令遵反だ」と語った上で「週明けにも担当者に確認する」と明言しているそうだ。

この件はどうなるかわからないが、広末といえばせっかく入学した大学は中退、前カレのバイクに乗ったという記事を訴え、勝訴はしたものの結局離婚。それ以外にも、常識を疑われるエピソードや報道がしばしばなされてきた。

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こういうことでは、何をやってもきちんとできない人間と思われてても仕方あるまい。

関連サイト
http://news.livedoor.com/article/detail/4677086/
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広末涼子が2003年10月7日、一応在籍していた早稲田大学を自主退学することを公式ホームページで発表した。退学届は6日に提出した。

1999年4月、広末は「自己推薦」なる制度を利用して教育学部国語国文学科に入学。しかし、当初から出席日数は不足し、取得単位数は5年かかって30単位。これは、本来なら1年次に取得する単位にも満たないものである。9月にはいったん休学届けを提出したが、大学側との協議で退学という結論になった。

広末は、「私にとって大学生活は貴重な財産となり、大学で得た人間関係も新しい世界をもたらしてくれました」と振り返り、「女優としてお芝居を続けていきたいという夢を大切にしていきたい。『大学生活』に感謝します」とコメント。所属事務所も「学業と仕事を両立すべくスケジュールをやり繰りしてきたが、中途半端な結果を双方に残したくない」と理由を説明している。

これまでの報道でも、欠席が多かったことや、授業中も手紙を書いていたり途中で退室したりなど、率直に言って「授業について行けない」ことが報じられていた。

もともと進学校出身でもなければ、最初から早大目指して受験勉強していたわけでもなく、アイドル活動中に、ポンと出てきた進学話。「早大ブランド」を手に入れたことで、もはや彼女の目的は達成されていた。

では、卒業がおぼつかないことを承知の上で、なぜ5年間も学籍をおき続けたのか。そしてなぜその時に、退学だったのか。

やはりそれはタイミングだろう。ひとつは、同じ年に入学した学生たちがすでに卒業したことがある。翻って自分は、いくら片手間の学生生活といったって、満足に単位も取れず卒業のめども立たないままの「2年生」。惨めな気持ちになるに違いない。

もうひとつは芸能人としてのパブリシティを意識したものと考えられる。99年、伊勢谷友介とのゴシップでケチがついて以来、広末にはロクな話がなかった。タクシー無賃乗車や仕事のスッポカシなどの奇行報道で、10社以上あったCMも一時はゼロに。「愛なんていらねえよ、夏」(TBS)などドラマも低視聴率で、その上、大学も挫折では、芸能人としてのイメージに決定的なダメージを負うところだった。むしろ、そんなときだからこそ「早大ブランド」にしがみつきたかったといっていいかもしれない。

それがこの当時(2003年)は、ライフカードのCMや求人情報サイトのディップのイメージキャラクター、さらにヤフーBBのCMなどにも起用され、映画「恋愛寫眞」もまずまず好評だった。名誉挽回の「元カレ」(TBS)も15%の視聴率をキープ、さらに筧利夫との共演でつかこうへいの舞台出演が決まるなど、持ち直しの感があった。

このときなら、「仕事と学業の両立が困難」という大義名分も何とか使えそうだ、と考えたのではないだろうか。

しかし、どちらにしてもこの退学騒動ははた迷惑な話、という批判は強い。まず、入学試験で割を食った受験生たちだ。

彼女が受験した「自己推薦」なる制度は、一般受験のような客観性は保証されていない。当然、大学のパブリシティの一環として広末を優先的に入学させることは大いに考えられる。ちなみに、この時は90人が受験して合格したのは60人だった。広末が出しゃばらなければ、単純に考えても落ちた30人のうちの誰かが救済される。いや、彼女がいなければその年の選考基準自体が抜本的に変わり、合格者がガラッと変わってしまう可能性もなくはない。全く罪作りな話だ。

「吉永小百合は一般入試で受験し、きちんと大学に通っていました。ところが、広末は入学の際に優遇してもらった上に単位もほとんど取っていない。そんな広末のせいで入学できなかった人が気の毒。彼女には社会的な責任があると思う」(『日刊ゲンダイ』2003年10月11日付社会評論家の久里禎久氏)

さらに、彼女の出身高校の生徒、つまり後輩達も被害者である。誰が見ても一流進学校とはいえないそこは、ただでさえ早大の入学は困難なのに、広末先輩がミソをつけてくれたおかげで、自己推薦制度で入ることもきわめて難しくなったと見られる。その高校出身のフィギュアスケートの選手として活躍した八木沼純子は、早大教育学部に進学したが頑張って卒業しているのだから、なおのこと、広末の身勝手さは腹が立つことだろう。

この騒動の根本には、少子化対策と同大学の長期低落傾向を安易に考えている大学当局の甘い姿勢が見えてくる。有名タレントを入れれば何とかなる、とナメていたのではないか。早大のような、私学でも伝統と知名度のある大学なら、もっと他に大学の価値を高める方法はあるだろうし、新興大学よりもその点では恵まれているはずである。しかし、その点をはき違えていたのではないか。

たとえば広末が入学する1年前の98年11月、早大では「意議・新医療・新エネルギー国際シンポジウム」なる会合が開かれた。そこでは、とかく非科学的な言説で知られる人物が実行委員長を務めたものだが、総長がわざわざ出席して歓迎の挨拶を行うという事態を招き、週刊誌等でも批判を受けていた。

理工学部を設置した高等教育の場で、オカルトショーに総長が顔を出して大学行事としてのお墨付きを与えるのだから、こんなばかげた話はないだろう。

かつて日、やはり早大の万年学生らによる、「スーフリ」事件が話題になったが、オカルトへの迎合といい、タレントスカウトといい、大学当局が率先して道を誤っているとのそしりは免れない。
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