昨年の夏のオリンピックでは、多くの芸能人が中継に出演したが、それが物議を醸した。

演芸評論家の吉川潮は、相武紗季、浜田雅功とともに中居正広を名指しで「ワースト3」と批判。「中居は野球しか興味がないようで、他の競技とは明らかにテンションが違った。野球の時はやたらとうるさくヘキエキした」(「日刊ゲンダイ」2008年8月27日付)と記している。

「東京スポーツ」(2008年8月27日付)でも同様のことが書かれている。
TBSの中居正広(36)の口から出てくるのは“野球”の2文字だけだった。「台湾戦生中継の時に突然、前日の巨人対中日戦について語りだしスタッフを右往左往させた。さらにフジが中継した韓国戦に夢中になり、同時間帯にTBSが放送した陸上には一切顔を出さなかった。ジャニーズの意向もあって誰も注意できなかったらしい」(テレビ関係者)
中居正広が野球関連番組の進行役として登場したのは、1995年10月から『サンデージャングル』(テレビ朝日系)というニュース番組が最初である。あおきひろしの『ボクの夢はキミたちが描く夢』(メタモル出版)によると、それは本人がある時期「スポーツキャスター」を目指していたため、その仕事を強く希望したという。

以下は同書に書かれているジャニー喜多川の告白である。
SMAPの人気が上昇してきたこともあって、『サンデージャングル』に中居を売り込んだ。しかし、局側は引退したプロ野球選手の起用を予定していて、意見が分かれた。いまにして思えばだが、僕は無理やり押し込むわけにはいかないと思っていたから、局がそういう意向なら……という気持ちになっていたのかもしれない。それが“中居でいく”と決まったのは、本人の熱意以外の何ものでもなかった。

 彼は局のプロデューサーたちに向かって、

「野球評論家とか、そういう専門家の目ではなく、僕らアマチュアの目でプロ野球をいろんな角度から見て、それに対する疑問をぶつけていきたい」

 こんな趣旨のことを熱弁したんだ。
それが、プレーそのものではなく、ブレーの“盛り上げ方”で演出するという、昨今の中継番組の根本的な退廃につながっていったという弊害は指摘せざるを得ない。

ただ、歌や芝居の他にそうした方向性に道をつけた中居正広は、タレントの側から見れば売り方としてエポックメーキングだったといえるかもしれない。